昭和43年6月8日  夜の御理解



  不平、不満がいけないと言うて信心さして頂いておれば、不平不足を、または不満を言うてはならんというのじゃない、言うてはならんということになると非常に、その、言うなら困った結果になるですね、不平でも不満でもやはり感ずるならそれは言うべきである、または言うなら(  ?  )な人に聞いてもらうということは非常にその効果的ですね、(     ?    )言うことが良いというのじゃないですけれども、(?)不満を自分の信用のおける人に聞いてもらって、それに「本当そうですもんね」と言うてこう増長されたら、ほんと気持ちが良い、「私のこの不平不足を聞いてもろうたから何か胸がすーっとした」といったような事を申しますですね、それがあのお取り次ぎを頂くということになるともっと素晴らしいことになると思うですね、「だからもう親先生が不平不足を言うちゃならん、こまをおいちゃならんと言わっしゃるけれど、もうこげな事はお届は出けん」なんていうようなことはいけなせんですね。
  今日午前中ある方が参ってまいりました、でね、もう本当にそれこそ、まあ主人に対する不平不足の、お~丈をここに述べられる、ね、それから子供さんの不平不足をもう不平だらだらです、で私は、それ聞かせて頂いてですね、本当に「本当じゃんね信心したってどうしたこっちゃろうか」っち言うて私もまあそれに合わせてから聞かせて頂いたんです、したら「親先生もう今日は本当に(?)、親先生に何もかにも聞いてもらったから、気持ちがすっきりした」というわけなんですね、私は何にも申しませんでした、そして私は、その、それよりかむしろその、本当にあの不平不足をね、あの他所へ持って行かずにここへやら持ってきた、方が持ってきたということがおかげ頂いたなぁと私思ったんですよ、その証拠に本当にあの、きもっ、こう顔色まで朗らかな顔になってですね、「先生聞いていただっ、不平不足を聞いて頂いたら気持ちがすっきりした」といっ、げな、それからまたしょせん、御祈念をしてから、あ~今日の御理解を頂いて帰った、まあ帰りました、帰りがけにです、「先生本当におかげ頂きました」っち言うてですね、「自分の気持ちの上にも先生に不平不足を聞いて頂いたから気持ちがすっきりいたしましたけれど、今日の御理解を頂きよったら・・」その御理解の中ではない、御理解にそういうことは出てなかったんですけども、御理解頂きよってからふっと思ったこと、「本当に主人の事でも子供の事でも、親先生の祈りの圏内にあった」と、「もうこんな(?)、今度は恥ずかしゅうなった」っち言うて帰りがけには言うて帰られた、ね、素晴らしいことだと思うですね、だから不平不足がやっぱりあの、信心しよりゃ言うちゃならんじゃないです、言うが良いです、けれどそれを誰にも彼にもぶちまけてはいけないということであってね、自分の信用のある人になら聞いてもらうことも、それは効果的です、それは効果的でなく、それをおかげにするためには、やはり不平不足をお取り次ぎを頂く御結果に持ってこなきゃいけんですね、私もだいたいが、いつもそういう時にはやっぱりあの、良い聞き上手になってですね、それをお取り次ぎさしてもらわなければいけない、今日思うたんです、よ~家内達があの、子供達の事で「もう本当にあなたが黙っとりなさるけんで、もうこうですああです」言うてから、「言う事聞かせきらんお前が悪かった」っち言うちからもう一遍に決め付けたりしよったがこれはいけなかったなと思うんです、これはやっぱりあの家内がこの子供に対して不平不足を言う時には、私なそれに聞いてはない、聞いてやってはないのですからね、私が、これから今日その事から私ヒントを得たんですよね、これからゆっくり聞いてやろうとこう思うて同時に、「それをねお母さん、こういう所で、あの言わずに、あのお取り次ぎを頂いてから、あのその不平不足は、あ~、持ってくるとそれはお取り次ぎを頂いたことになるから、お前もおかげ頂くだろう、子供達もおかげ頂くだろう」ということを言うてやろうとか思ったんですけどね、だから不平不足ということはね、これにやっぱり、え~、この鬱憤と言うかね、そのたまっておるものはね、やはりそこが人間ですから、それはやはりぶちまけるということ、ぶちまけるようにお取り次ぎを頂いて、私はあの、お願いをするというよりも聞いて頂くということ、そういう時にならお取り次ぎする者がです、「日頃の信心はどこへやっ、持っていっとるか!」と、と例えば(怒るなら?)、人情でですよね、お取り次ぎをせずに自分がここで取り次ぎ者が取り次ぎよっ(?)になるよね、それは返って、それはそれどころじゃないけれどもね、あのおかげを頂ききらんっていう風に私今日思うたんですけれども、これは本当にお取り次ぎという事は難しいことだな、本当にまあ不平不満をやはりお取り次ぎさしてもらわなければいけないと私思うたですね、私は本当にあのお互いがですね、どんなような不平不足でも、お、これはなら子供からの不平不足でも、または家内の不平不足でも、または反対に、え~、奥さんならば主人の不平不足でもです、やはりあの聞いてあげれる、それこそ豊かさじゃなかろうかとこう思うんですね、「あなたそげなん事ばっかり言いなさってから、日頃の(?)はどげんなさってすか!」何て言わずに、言わずにですね、あのやはりそこん時は、本当にありっ、そこんところをこっちが豊かな心でね、神様に祈らして頂きながら、私は頂かして頂くべきだとこう思うですね、そして頂かして頂くところに、今日その方が気づいて帰られたように、本当に主人の事があって子供の事があって、親先生の祈りの圏内にあったと思うたら、胸が本当の意味で晴れた、と言うて帰られましたようにですね、お互いもこれは不平不足の、お、まあ、言わんですむ私になるということは有り難いことですけれどもね、不平不足が心の中にあるならば、それはあの、誰彼にぶちまけずにね、それを聞いてもらえれる人に私はあの聞いてもらうことは大変おかげのことだとこう申します、それをお取り次ぎを頂くということになったら、ね、あのそれはいよいよおかげ頂きます、(?)におかげを頂く道はそっから開けて来るという風に思いましたですね。   どうぞ。